恋をしていた。
あの人に――というよりも、あの人と過ごす季節に。
ふとした瞬間に思い出す。
コーヒーの香り、傘を差すタイミング、映画のエンドロール。
そんな何気ない日常のあちこちに、あの人の姿がいまも少しだけ残っている。
彼と出会ったのは、夏の終わりだった。
職場の飲み会で隣に座ったのが最初だった。彼はお酒が飲めない人で、烏龍茶を静かに飲んでいた。
周りがにぎやかに盛り上がる中、私たちは小さな声で会話をしていた。
声を張り上げる必要がない会話は、落ち着いていて心地よかった。
その日、駅までの帰り道で、彼がぽつりと言った。
「にぎやかな場所は苦手なんです。静かなところのほうが好きで」
その言葉に、私は不思議と共感した。
何かを説明しなくても伝わる人がいることに、少し驚いたのを覚えている。
それから、ふたりでランチをしたり、本屋に行ったり、何でもない時間を少しずつ共有するようになった。
「恋人」という言葉を使う前から、彼は私の生活の一部になっていた。
恋愛というものは、どうしてこんなにも人を変えるのだろう。
見慣れた風景が、少しだけ色づいて見える。
電車の中、カフェの窓、信号待ちの交差点。
どこかに「彼と一緒にいた風景」が混ざって、日常が少しだけ特別になる。
ふたりで歩いた夜の公園。
コンビニで買ったアイスを分け合った夏の帰り道。
寒い朝、手をつないでマフラーを巻き合った冬の駅前。
そのどれもが、あたたかくて、優しかった。
でも、恋というのは、
あたたかいだけでは続かないのだとも知った。
ある日、彼の態度が少しずつ変わった。
連絡の返事が遅くなり、会う頻度も減った。
「忙しいんだ」と彼は言った。
きっと、それは本当だったのだと思う。
でも、それが“本当だから大丈夫”ということには、ならなかった。
恋というのは、目に見えるものではないからこそ、
小さな違和感が積もると、それはやがて不安に変わる。
会えない理由が、言葉で埋まらなくなったとき、
私たちは、自然とすれ違っていった。
別れは、喧嘩ではなかった。
涙も、大きな声もなかった。
静かに、けれど確実に、“終わり”が近づいていることを、お互いが感じていた。
最後に会った日、彼は静かに言った。
「きっと、僕じゃなかったら、もっとあなたを幸せにできたと思う」
私はそれに、何も返せなかった。
涙が出なかったのは、自分でも驚きだった。
それからしばらく、私は“恋をしていた日々”を丁寧に片付ける作業に入った。
スマホの写真フォルダ、部屋の隅に置かれた彼のマグカップ、読みかけのままになっていた共通の本。
ひとつずつ手放していくことで、心のどこかに空いた穴が、少しずつ閉じていくような気がした。
でも、完全に忘れることはなかった。
むしろ、忘れようとは思わなかった。
それは、私が本当に恋をしていた証だから。
恋をしていた頃の私は、どこか不器用だった。
相手を気遣うふりをして、自分の寂しさを押し付けていたかもしれない。
「会いたい」という言葉の裏には、「あなたも同じ気持ちでいてほしい」という、願望が隠れていた。
恋愛というのは、自分の弱さとまっすぐ向き合うことでもあるのだと、今になって思う。
でも、たとえ不完全でも、私は彼を、彼と過ごす日々を、心から愛していた。
それだけは、胸を張って言える。

あれから、少しずつ季節が巡った。
いまはもう、彼と出会ったあの夏とは、違う風が吹いている。
私はまた、日々を過ごしている。
朝起きて、コーヒーを淹れ、通勤電車に揺られ、仕事をして、帰ってきて、テレビを観る。
恋人はいないけれど、それでも日常は淡々と続いている。
時には、恋をしていた頃の自分を思い出して、少し笑ってしまうこともある。
あのときの私は、
世界でいちばん幸せになれる気がしていたし、
世界でいちばん不安定な場所に立っている気もしていた。
それが“恋”というものなのかもしれない。
私は今、恋をしていない。
でも、それを寂しいとは思っていない。
恋をしていた日々が、私の中に優しく残っているから。
それだけで、十分にあたたかい。
そして、またいつか。
あの夏のように、誰かの隣で、静かに笑い合える日が来たらいいな、と思う。
恋とは、思い出になることも含めて、愛おしいものだ。
季節は巡り、いま私は、新しい部屋で暮らしている。
窓から差し込む午後の日差しがカーテンを透かして、部屋の空気をやわらかく染めている。
あの恋が終わったあとも、日々はちゃんと続いていて、私はちゃんと、前を向いて生きている。
恋をしていた頃の自分は、まるで誰かの夢を生きていたような、不思議な透明感の中にいた。
でも、それも含めて、私の人生の一部だ。
大切な記憶として、心の奥の静かな場所にしまってある。
ふと、本棚に並ぶ文庫本の背表紙を眺める。
あの人と一緒に読んだ本も、まだ手元にある。
捨てることも、手放すこともできなかったのは、たぶん、それだけ本気で恋をしていた証だと思う。
「もう、忘れた?」と聞かれたら、きっと私はこう答える。
「忘れてはいないけれど、泣かなくなったよ」
恋が終わったあとの静けさに、最初は耐えられなかった。
でも、静けさにも、意味があると今は思える。
あの恋が教えてくれたのは、「誰かを大切に想うこと」の尊さと、
そして「自分を大切にすること」の必要性だった。
いつかまた、誰かに出会うことがあるかもしれない。
そのとき私は、きっと、あの恋の続きではなく、
“まったく新しいはじまり”として、向き合うことができるだろう。
だから、今はこれでいい。
ひとりの時間も、季節のうつろいも、
やさしく受け止めながら、生きていける気がしている。
そして、もしもどこかでまた、誰かと心が重なる日が来たら――
私はもう、一度目の恋よりも、もっと丁寧に、もっと静かに、愛せる気がしている。
それが、あの恋がくれた、一番大きな贈りものなのかもしれない。