朝食の時間

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朝食を食べる時間は、一日の中でもっとも静かな瞬間かもしれない。
まだ街全体が完全には目を覚ましていない、やわらかな光の中で、湯気の立つマグカップや焼きたてのパンの香りが、私を現実へと連れ戻してくれる。

今日は少し早起きをした。
窓を開けると、朝の空気が頬を撫でる。
夜の冷たさがわずかに残っていて、深く息を吸うと、胸の奥まで澄みわたるようだ。
鳥のさえずり、遠くから聞こえる新聞配達のバイクの音。
そのすべてが、朝の合図だった。

私の朝食は、決して豪華ではない。
トースト一枚にバターを塗り、半熟の目玉焼きをのせる。
サラダはレタスとトマトときゅうり、そして少しのオリーブオイル。
飲み物は、ブラックコーヒー。

でも、このシンプルなメニューが、なぜか一番落ち着く。
食パンが焼ける香りが部屋に広がり、バターがじわっと溶ける瞬間に、なんとも言えない幸福感がある。

食卓に座り、まずはコーヒーをひと口。
熱さと苦みが舌に広がって、頭の奥がじわじわと動き始める。
「さあ、今日も始まる」という気持ちになる。

 

 

子どものころ、母の作る朝食はいつも決まっていた。
ご飯と味噌汁、焼き魚、卵焼き、そして小さな漬物。
学校に行く前のあの時間は、眠くてぼんやりしていたけれど、味噌汁の湯気の向こうに見える母の横顔を、なぜか今でもはっきり覚えている。

「朝ごはん食べないと元気出ないよ」
母はそう言って、急かすように味噌汁を差し出した。
当時はその意味を深く考えなかったけれど、大人になった今ではわかる。
あれはただの食事ではなく、母からの“お守り”だったのだ。

社会人になってから、朝食はおろそかになりがちだった。
朝の時間は慌ただしく、トーストをかじりながらメールをチェックし、コーヒーを片手に家を飛び出す。
時にはコンビニのおにぎりを駅のホームで食べることもあった。

でも、そんな日々の中で、ふと気づいた。
朝食をきちんと食べた日と、そうでない日では、一日の気分が違う。
しっかり朝食を取った日は、午前中の集中力が続くし、心にも余裕が生まれる。
逆に、何も食べずに出かけた日は、どこか落ち着かず、空腹よりも“欠けた感覚”が残る。

それからは、どんなに忙しい日でも、5分だけでも朝食の時間を取るようになった。
たとえインスタントスープとトーストだけでも、自分のために用意した食事は、心を整えてくれる。

休日の朝は、少し特別だ
平日よりも遅く起き、ゆっくりとキッチンに立つ。
ベーコンとソーセージを焼き、ふわふわのスクランブルエッグを作る。
パンは厚切りで、バターをたっぷり。
大きめのマグカップにカフェオレを注ぎ、フルーツを添える。

窓から差し込む光の中で食べるその朝食は、旅先のホテルのモーニングのようだ。
誰に見せるわけでもないけれど、自分だけの贅沢。
食後には読書をしたり、音楽を聴いたりしながら、ゆったりと時間を味わう。

旅先で食べる朝食も、また格別だ。
ビュッフェの並んだ料理を前に、ついあれもこれもと皿に盛ってしまう。
ホテルの食堂に流れる軽やかな音楽、窓の外の景色、知らない土地の空気。
そのすべてが、日常の朝食とは違う輝きを持っている。

旅先の朝食を食べながら、「この時間がずっと続けばいいのに」と思うことがある。
でも、旅が終わるからこそ、その朝食は特別な思い出になるのだろう。

最近、朝食を通して気づいたことがある。
それは、朝食は単なる食事ではなく、“心の準備運動”だということ。
朝食を食べることで、体だけでなく心も一日を迎える姿勢になる。
たとえ前日に嫌なことがあっても、朝食の時間が、気持ちを切り替える小さな儀式になってくれる。

だからこそ、私はこれからも、朝食を大切にしたい。
豪華でなくてもいい。
パンでもご飯でも、スープだけでも。
その時間を持つことが、一日の質を変えてくれるのだから。

今朝もまた、トーストをかじりながらコーヒーをすする。
カレンダーを見ると、今日は少し忙しくなりそうだ。
でも、こうして朝食を食べたことで、私はきっと大丈夫だと思える。

朝食は、体を動かすエネルギーであると同時に、心にとっての灯りのようなものだ。
それがあるだけで、一日の始まりが少し明るくなる。

そして、明日もまた、同じように朝食をとるだろう。
それは習慣であり、ささやかな幸せであり、私にとって欠かせない時間なのだ。

食器を片付け、コーヒーカップをすすぎながら、ふと窓の外に目をやると、
朝日がビルの間からまっすぐに差し込んでいた。
光はテーブルの端に置いた小さな花瓶を照らし、その中の一輪のガーベラが淡く輝いている。

その光景を見た瞬間、なぜか胸の奥が温かくなった。
何でもない朝なのに、「ああ、今日もいい日になりそうだ」と素直に思えたのだ。

朝食は、ただお腹を満たすための時間じゃない。
こうして、静かに自分と向き合い、小さな幸せを見つけるための時間でもある。
パンの香り、湯気の立つスープ、カップから漂うコーヒーの匂い。
その全部が、今日を優しく始めるための合図だ。

この先、忙しい日も、疲れた日も、きっと何度も訪れるだろう。
それでも、朝食のひとときだけは、変わらず私を支えてくれる。
たとえ形やメニューが変わっても、その温もりは同じまま。

明日の朝も、またこのテーブルで。
湯気の向こうに、新しい一日を迎える自分がいる。
それだけで、十分幸せだと、私は思う。