田舎暮らしの勧め

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朝、目が覚めると、窓の向こうに淡く白い光が満ちていた。
カーテンをそっと開けると、やわらかな朝霧の中に、うっすらと田畑の緑がのぞく。まだ世界が目覚めきっていない、静かな時間。すぐそばの林からは鶯の鳴き声が聞こえ、風はどこか湿った土の匂いを運んでくる。

私は今、小さな山間の町で暮らしている。正確には“移住した”と言えるのかもしれない。
2年前までは、東京の会社に勤めていた。目覚ましの音に追われ、慌ただしく電車に飛び乗り、渋谷の人波にもまれながら毎日を過ごしていた。朝の通勤電車でぎゅうぎゅうに押し込まれるあの感覚は、今でも夢のように思える。

そんな生活を捨て、私は田舎へ来た。
理由はひとつではない。仕事の疲れ、人間関係、将来への漠然とした不安。どれかが決定打というわけでもなく、ただ「このままじゃ息が詰まりそうだ」と感じてしまったのだ。
そんなある日、ネットで偶然目にした「地方移住体験ツアー」という言葉。軽い気持ちで参加したその旅が、私の中で何かを変えてしまった。

訪れた町は、信州の小さな村だった。木造の古い家が並び、庭先には花が咲き乱れていた。
畑で作業するおばあちゃんに声をかけられ、採れたてのトマトをもらった。
まだ温もりの残るその実を口に運んだときの、あの甘さは忘れられない。
「こんな場所が、まだ日本にあるんだ」と思った。

それから半年後、私は会社を辞め、移住を決めた。

もちろん、不安がなかったわけではない。
収入はどうなるのか、友達はいなくて大丈夫か、病院やスーパーはあるのか。
でも、それ以上に“ここで生きてみたい”という気持ちが大きかった。

引っ越して最初の数日は、まるで別世界に迷い込んだようだった。
朝、鳥の声で目覚める。夜、満天の星の下で深呼吸をする。
東京では決して感じることのなかった“時間の濃さ”を、体で実感した。

何よりも驚いたのは、人の時間の流れ方だった。
誰も、せかせかしていない。
お店のレジでは、ちょっとした世間話が交わされる。
農作業の合間に「お茶でもどう?」と声をかけられ、そのまま縁側で日が傾くまで話し込むこともある。
最初はそのゆるさに戸惑いもしたが、今ではそれが心地よい。
効率を追い求めない生き方が、こんなにも自然なのかと気づかされた。

とはいえ、田舎暮らしは決して理想だけで成り立つものではない。
車がないとどこへも行けないし、雨の日の買い物は一苦労だ。
夜は街灯が少なくて真っ暗。慣れないうちは、家の周りでさえ少し怖かった。
近所付き合いも濃密で、誰がどこで何をしているかが、自然と伝わってくる。
最初はそれが「干渉」と感じられることもあったけれど、今では「気にかけてもらっている」と思えるようになった。

田舎には、都会にあふれていた“最新のもの”や“便利なサービス”はない。
でも、その代わりに“目の前にあること”がちゃんと見える。
空の青さ、木々の揺れ、畑の土の匂い、煮炊きの音、鳥のさえずり。
そのひとつひとつが、毎日の生活を豊かにしてくれる。

ある日、近所の畑仕事を手伝っていたとき、80歳近いおじいさんが言った。
「生きてると、いいことよりも困ったことの方が多い。でも、土に触ってると、そのことを忘れるんだ」
その言葉が、胸に深く残っている。

田舎での暮らしは、決して“楽”ではない。
だけど、不思議と心が“軽く”なる。
誰かの期待に応えようと無理をしなくても、ここではただ「在る」ことが許されている。
そんな場所に出会えたことを、私は今、とてもありがたく思っている。

都会の喧騒に疲れたとき、
一度立ち止まってみてほしい。
そして、少しだけ目を閉じて、風の音を思い出してほしい。

田舎暮らしは、何かを“手に入れる”ためではなく、
何かを“取り戻す”ためにあるのだと思う。

「生きるって、なんだったっけ?」
そんな問いに、そっと答えてくれる場所が、田舎にはある。