海の家で見つけた夏

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砂浜に足を踏み入れた瞬間、足の裏から“夏”が立ち上ってきた。
太陽は空のいちばん高いところにあって、青すぎるほどの空を背景に、白い入道雲がどっしりと浮かんでいる。
浜辺には浮き輪を持った子どもたち、日焼け止めの匂い、潮風に混じる焼きそばの香ばしい香り。

それは、十数年ぶりに訪れた海水浴場だった。
子どものころ、毎年のように家族で来ていた小さな町の浜辺。
海の家「たかはし」は、まだそこにあった。

木造の軒先に“かき氷あります”の手書き看板、涼しげなブルーシートの影、ざっくり編まれたビーチマットが雑然と並んでいる。
もう少し近代的に改装されているかと思っていたけれど、記憶の中とほとんど変わっていなかった。
いや、むしろその“変わらなさ”がうれしかった。

「いらっしゃい。お兄ちゃん、日焼け止め塗ったかい?」

そう声をかけてくれたのは、昔からいるおばちゃんだった。
顔も体型も当時のまま(と言ったら失礼かもしれないが)、赤いエプロンと日焼けで真っ黒な腕が、懐かしさで胸を締めつけた。

「ここで昔、焼きそば食べたの、覚えてます」
そう言った私に、おばちゃんは笑って、
「うちの焼きそばは、味変わってないよ」と、にんまりした。

私はビーチパラソルの下に腰を下ろして、冷えたラムネを開けた。
瓶の口にビー玉が転がる音すら、懐かしく響いた。

海の家というのは、不思議な場所だと思う。
単なる食事処や休憩所ではない。
そこには、夏そのものが詰まっている。

濡れた水着のままでも気兼ねなく過ごせる開放感。
髪の毛に砂がついていても、誰も気にしない。
ラジオから流れるJ-POP、氷を砕く音、鉄板で目玉焼きが焼ける音。
すべてが夏のBGMだった。

「焼きそばできたよ〜」というおばちゃんの声に手を挙げると、
紙皿の上には、青のりと紅ショウガがたっぷり乗った焼きそばが載っていた。
ソースの甘辛い香りがたまらなくて、夢中で頬張る。
熱くて、ちょっとしょっぱくて、それでいて涙が出そうになるほど美味しかった。

少し遅れて注文したかき氷は、定番のいちご。
透明なカップに山のように盛られた氷に、赤いシロップがたっぷり。
スプーンですくって口に入れると、キーンとする冷たさが頭を突き抜けた。
「うわ、これこれ」
声が自然に出た。懐かしさが、味覚からも一気に押し寄せてきた。

子どもの頃、弟とビーチボールで遊び疲れて、
ここで同じように焼きそばとかき氷を食べたことがある。
あのときの景色と、今の景色が、ふわりと重なって見えた。

海の家「たかはし」は、もう何十年もこの浜辺にあるらしい。
台風で屋根が飛ばされても、豪雨で土台が崩れても、そのたびに修繕して夏を迎えるという。
この場所を守る理由を、おばちゃんに聞いたことがある。

「ここに来ると、みんな笑うんだよ。
それがうれしいじゃない?
小さい子も、大人も、お年寄りもさ、
アイスひとつで笑うんだもん。
他に、何がいるっていうの?」

それを聞いたとき、思った。
都会で働いていた自分は、いつから“笑う理由”を探すことを忘れてしまったんだろうと。

時間に追われ、成果を求め、効率を求めていた毎日。
便利なものに囲まれていても、心はどこか空虚だった。
けれどこの海の家には、“無駄”なものがたくさんあった。
埃をかぶったうちわ、色あせたメニュー、日焼けしたポスター。
でも、それらがあるからこそ、心がほどけていくのだ。

日が少し傾き始め、浜辺の子どもたちが少しずつ帰っていく。
海の家には風が通り抜け、どこか名残惜しい静けさが広がっていた。
私はもう一度、ビーチマットに寝転んで、空を見上げた。

頭上には、少しずつ色づく雲と、遠くで鳴くカモメの声。
潮風の匂いと、体についた砂の感触が、
この夏の一日をしっかりと記憶に焼きつけようとしていた。

「また来ますね」
帰り際にそう言うと、おばちゃんは笑って手を振ってくれた。
「来年も、焼きそばの味は変えないからね!」

夏は、いつか終わる。
でも、この場所で過ごした一日は、
心のどこかに、ずっと残り続けるだろう。

そう思いながら、私はサンダルのまま、
きしむ木の階段を一歩ずつ降りていった。

 

―― そして今年もまた、あの海の家が、
誰かの「夏」になっている。